雪兎の小部屋

病弱専業主婦の日々

2020.04.01 コロナうつ対策のために

お題「あなたが行っている新型コロナウイルスの対策方法」

コロナウイルスの影響で2/15からうつが悪化して、ひと月が過ぎ、ふた月目に入ろうとしています。

医師からは「この状況では薬だけではどうしようもない」と云われたことは前にも書きましたが、そんな中で少しでも気が楽になる方法はないかなと考えてみました。

 

洗濯機を回して、洗濯物を干しているときに、ふといつかNHKで観た、谷原章介さんの「仕事に終わりが見えない日も、料理をすると心が落ち着く。料理は終わりますからね」という旨の言葉を思い出しました。

私たちは今コロナウイルスという終わりが見えない状況の中にいて、それが一番つらいことなのではないか、とふと思い至りました。

たとえば今月末で収束するというめどがついていればまだ耐えられるけれど、今年も、もしかすると来年まで時間がかかるかもしれないという先が見通せない状況がうつ状態に拍車をかけているのではないか、と。

 

だからこれからは積極的に「終わること」を片づけていこうと思います。

うつでなかなか家事がままならない日も多く、凹んだり自己嫌悪に駆られることもたくさんあります。それでもひとつでも何かを終えられたら良しとしよう、と思うことにしました。

掃除でも洗濯でも、調理でも片づけでもいいのだと思います。

すべてを完璧にこなすことは今は難しいけれど、そんな自分を責めすぎずに、自分にできることをひとつずつこなして「終わらせて」いく。

大事なのは体を使って実際に行動すること。

そういう点ではたしかに家事というものは理に適っているのかもしれません。

 

以前こちらでもご紹介した、NHKテキストの『禅の知恵に学ぶ』を再読しました。 


 

 禅というのはやっぱり実践の宗教だなと思います。

その教えを実際に貫徹することは出家でもしない限りは難しいですが、禅のエッセンスを生活に取り入れることはできます。

坐っているときは、一生懸命「考えるな、考えるな」と考えている分、余計なことは浮かんできません。ところが、体を動かしてるときは、いろいろなことがパッパッと頭に浮かんでは消えていきます。複雑な動きをしているときは別ですが、単純作業でしたが、どうしても「今日の斎座(昼食)はなんだろうな」などと、余計な考えが浮かんでくるものです。
それを乗り越えるのは至難の業なので、修行の効果は「動中の工夫、静中の工夫に勝ること百千億倍す」と言うのです。
この「動中の工夫」は、作務の最中に公案について考えることではありません。掃除をしながら、「あの公案はどういう意味かな」「どうすれば解けるかな」などと考えるのは、妄想というものです。掃除をするときは、掃除という作務になりきる。これが工夫です。

――山川宗玄『NHK こころの時代 宗教・人生 禅の知恵に学ぶ』NHK出版、2019年、P85。

 

これまで三昧になることの意義をお話してきましたが、皆さんんも、日常生活に何かに無心で取り組めば、三昧の境地に至れるかもしれません。そこまで行かなくても、集中して物事に取り組めば、より充実した時間を過ごせます。仕事をするときは仕事のことだけ、家事をするときは家事のことだけを考えて、いかに無駄を省けるか、「工夫」することが肝心です。
――山川宗玄『NHK こころの時代 宗教・人生 禅の知恵に学ぶ』NHK出版、2019年、p96

 

しかし、何をするにせよ、自分のやるべきことにまっすぐ向き合って、無心に取り組んでみてください。そうすれば、工夫が生まれて、無駄が省けて、今より少し時間に、そして気持ちにゆとりが生まれてくることでしょう。
――山川宗玄『NHK こころの時代 宗教・人生 禅の知恵に学ぶ』NHK出版、2019年、p99

この箇所は今日洗濯物を畳むときに実践してみて、動いている間はひたすら無心で、同じ種類の衣類を続けて畳むようにしたら効率が少し上がりました。

衣類を収納先や種類別に分けて積み上げるのはいつも通りですが、できるだけ手早く丁寧に済ませようと集中しました。

 

私は何かと動きに無駄の多い人間で、あまり効率というものを考えることはないのですが、うつで動くのが億劫なときほど効率というものを意識した方がいいみたいです。

『禅の知恵に学ぶ』にも以下のようなことが書かれていました。

例えば、庭を帚で掃くときに、年季の浅い雲水は、いつも決まった方向に掃いて、同じ場所でゴミを集めます。しかし古参の雲水は違います。今日は右から左へ、 明日は左から右へというように、毎日違う方向に掃き、違う場所でゴミを集めます。いつも同じ方向に掃いていると、同じところに砂や土が集まり、地面に高低差ができてしまうからです。修行が進んだ者は、誰に言われなくても、みずから「工夫」するようになるのです。
あるいは、帚で掃いているところに雑草が生えていたとします。普通の雲水はただ掃くだけですが、修行が進んだ者は、無意識に雑草を抜きます。そういうことを無意識にできるかどうかが、「作務」になっている者と、「作業」にしかなっていない者との違いです。――山川宗玄『NHK こころの時代 宗教・人生 禅の知恵に学ぶ』NHK出版、2019年、p82

立つのが億劫だから、立ったついでに動線を意識して、何か別のことを済ませる。

お皿を洗うのが億劫だから、食器を一枚洗うついでに食洗機に食器を入れて洗う。

お風呂掃除で浴槽を洗うついでに、細かなところも使い古した歯ブラシで掃除する。

私のように動きに無駄の多い人間は、はじめは意識しないとなかなかできませんが、続けているうちに自然に身につくようになるといいなと思います。