雪兎の小部屋

病弱専業主婦の日々

2020.06.15 私の根幹にあるもの

先日友人とZOOM飲みをして、「雪兎さんのバックボーンにはキリスト教がありますからね」と評していただきました。

私がキリスト教と出会ったのは、ミッションスクールに通っていた高校時代で、当時はあまり模範的な生徒ではありませんでした。

なにせもともと実家は仏教徒ですし、あまり聖書にもなじみがなかったのです。

 

ただその高校には欠かすことのできない要素があって、それは被爆校だったということです。

入学当初に読む本として、タイトルは失念してしまったのですが、原爆投下当時の母校の生徒たちを描いた本を配られて、はじめはトラウマもあり、おそるおそる読んでいたのですが、被爆した先輩方が聖歌を歌いながら、そして祈りながら亡くなっていったという箇所を読んだ時、「ああこういう生き方をしたい」と思ったのでした。その感覚は今でも覚えています。

それでも入学してしばらく経っても、やはり聖歌にもミサにもなじめないという気持ちが強かったのですが、原爆投下当日の8月9日の母校主宰の慰霊式典に参列したとき、ようやく私はそれまで抱いてきた原爆という恐ろしい出来事にまつわるトラウマを癒す、なぐさめと祈りを見出した気がしました。心が洗われる気持ちになりました。

また母校は女子校だったこともあって、聖母マリアの精神に基づいた教育が行われていました。

校訓は「マリア様 いやなことは 私がよろこんで」というものでした。

そうして聖母マリアを理想と仰ぐ生き方は、今なお私の支えになっています。たとえ宗派は違っても、信奉する宗教が違っても、それでも彼女は私の理想像のひとつです。

 

人に奉仕するという生き方を選ぶには私は未熟な身で、大した職業にも就けずに専業主婦をしていますが、それでも日々できるだけ人には優しくしようと努めたり、積極的に褒めるところは褒めたり、話はほぼ常に聞き手に回って相手の話をよく聞くことを心がけています。

元々気が利かない性格ではありますが、主人がリモートワークで仕事をしている時にはお茶の差し入れをしたり、いつもより家事をがんばったり、普段よりも疲れている様子なら、部屋で休むようにアドバイスしたりと、さりげなく気を遣って接してきたつもりです。

 

以前、「夫を立てる妻がいる家庭というのは円満になる」とweb上の記事を読んだことがありました。

そういう考え自体、今の時代には合わないのかもしれませんが、私はできるだけ心がけて、結果的にリモートワーク期間中はまったく喧嘩をすることなく、仲良く過ごすことができました。

それで消耗したかというと、そんなことはなかったので、おそらく同棲の二年間を経て来た経緯もあって、自然と主人を立てるように振る舞えたのかなと思っています。

 

今後もそういう風に過ごしていけるように、この記事を書き残しておきます。

キリスト教と保守思想は密接に結びついている部分があり、こういう精神が私を保守的な考えへと導いたのだと思いますが、思想というものは生き方と不可分なので、もう少し保守的な自分のことも肯定できるようになればいいなと思っています。