雪兎の小部屋

病弱専業主婦の日々

私ひとりだけじゃないよ

体調不良が長引いて、すっかり気がめいってしまい、ブログの更新もおぼつかなくなってしまいました。

何かしら書かねばと思うのですが、そう思えば思うほどに追い詰められてしまって、ここのところ小説を書いたり、本を読んだりしながら日々を送ってきました。

その経緯はこちらの記事に綴っています。

evie-11.hatenablog.com

 

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いやはやそれでもやはりつらいものはつらい。

そうして自分の不調にフォーカスするうちに、周りのことがなかなか見えなくなっていたなと感じます。

実家とのLINEに参ってしまったりもしましたが、つらいのは私ひとりではないのだと思わないとやっていられそうにないです。

思春期の頃はそのような言葉を浴びせかけてくる母に強い反発心を抱いていました。

この心のつらさは私ひとりだけのものだし、誰かと比べられるものではない、と。

それでも大人になってみて、友達がいてもなかなか連絡を取れなくて寂しいのも、毎日体調が悪くても日々をなんとかやり過ごしているのも、私だけではないということがわかってきました。

それが大人になるということなのかもしれませんね。

子どもの頃はその大人の気持ちがわからなかったし、ずいぶんと大人たちの無理解に苦しんだりもしましたが、その苦しみも自分のものとして受け入れつつ、それでもつらいのは自分だけではないということも分かっておきたいです。

 

大人は悲しい生き物なので、子どもの頃のように、自分の固有の悲しみをじっとひとりで抱えていられるほど純真にも純粋にもなれないのだなぁと感じます。

他の誰かの悲しみや苦しみと比べて「私だけではない」と安心するなんて、思春期の私が一番嫌っていた大人の像なので、そういう人間になってしまったのだと思うとなかなかつらいものがあります。

でも大人になることが決して悪いことかというとそんなことはなくて、「苦しいのは自分だけではないから、同じように苦しんでいる人にも優しくできる」という許容の心が生まれてきます。

諸宗教の説くゆるしのあり方は苦しみに端を発しているのだと感じています。

思えばコロナ禍当初は、本がなかなか読めなくて、旧約聖書詩篇をひたすら読んだり、法華経を読んだりしていました。

今再び手に取れば、また違った心持ちになるのかもしれません。

いずれにせよ、人の心のあり方を正しい方向に導くものとしての宗教の役目は今まさに求められているのだろうと思います。 

 

 

 

 

 

 

 

 

私も原典をじっくり精読できるほどの学がない人間なので、こうした解説本で補助線を引きながら読むのも良いかなと思っています。 

 

 

 

 

 

実際にこの鎌田茂雄『法華経を読む』は、原典を読む前に途中まで読みました。

各パートごとに解説がまとまっているので、原典を読み通す余裕はないけれど、ざっくり内容を把握したいという時に役立つかと思います。

 

教典というものは、特定の宗教に帰依するにせよ、私のように神道を信奉しつつも主要な宗教のつまみ食いをするにせよ、学んでおいて損はないかなと。

法華経は諸経の王とも云いますし、宮沢賢治など、文学に与えた影響も計り知れません。今読んでいる『源氏物語』にもたびたび登場します。

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話が逸れましたが、人としてより良く生きるということを目標に掲げてきて、それもまだまだ実践できずにいるので、今後とも時折自分の足元をたしかめながら、おごることなく生きていければいいなぁと思います。

そのためにも積極的に人と話すこと、そしてたくさんの本を読むことを心がけていきたいです。

美しく年齢を重ねていけるよう、これからも励んでまいります。