芸能人の度重なる自死報道で回復途上にあったうつがふたたび悪化しました。
この悪化状態がいつまでつづくのか、先が見えません。
そんな中でもなんとか希望を持って生きねばなと思うのは、綺麗ごとではなくて、実際に私自身が自殺未遂を経験し、また知人のご家族が自死を選んで大きな衝撃を受け、その傷が未だに癒えていないからです。
その当時のことは以前ブログにも書きました。
8月の自殺者数もずいぶんと増加したというニュースがありましたし、世の中全体が暗い状況に陥っていることは間違いありません。
そんな中でも希望を持って生きていかねばならないと思うとき、私が最後にすがれるものは何なんだろうと思ってこの二日間を過ごしてきましたが、ひとつは宗教(カトリック・神道・仏教。スピリチュアルおよび新興宗教は除く)、そしてもうひとつは創作そのものに他ならないのだろうと思います。
実際、春先のコロナ禍のさなかにあって本が読めなかった時期には、旧約聖書の詩篇を読んだり、岩波文庫の法華経を読んだりしていました。
私は幼稚園が仏教、高校大学がカトリック、大学の専攻は記紀神話と、わりと宗教色の強い人生を歩んできました。
積極的に信奉しているのは、大学時代に専攻していた神道で、カトリックと仏教は片手間にかじっている程度ですが、最近はTwitterで人気の片柳弘史神父の『こころの深呼吸』や、私の愛読書である、日蓮宗一華庵・サンガ天城庵主の戸澤宗充『すべてを喜びとする』を読み返しています。
『すべてを喜びとする』はこちらで一部無料で読むことができます。
もともと私がこの本を知るきっかけとなったのもこの幻冬舎PLUSのサイトで、それから電子版を買い、それだけに飽きたらず紙の本を購入しました。
いずれも宗教者ならではのやさしい語り口で語られる本なので、特定の信仰を持たない人でも、心に響くものがあるのではないでしょうか。
悩み事があるのだけれど、誰も聞いてくれる人がいないという時にでも寄り添ってくれるのが本というメディアの良いところです。
今たったひとりだという人にでも、あるいは家族がいても孤独を感じている人にでも、上の二冊の本はおすすめできます。
また病状が思わしくなくて長文を読むのが苦手という方でも、文章が簡潔にまとまっているので、調子にあまり左右されずに読めるはずです。
宗教なんて怖いし、信用ならないという方もいらっしゃるかもしれませんが、私は特定の団体に属さなければそれほど害はないと思っていて、わざわざ誰かに教えを乞いに行くこともありませんし、他の特定の誰かに宗教的な何かを(原義的な意味で)「布教」するということもありません。
教義を思想として学び、日々の中で自分にできる範囲で実践する(できない範囲はあきらめる)という付き合い方で向き合っています。時折読み返して反省し、またふたたび実践に移すということの繰り返しです。
それはとてもパーソナルな付き合い方ですし、私はそれで充分だと思っています。
カトリックに改宗したいモードになることも時々あって周囲に止められていますが、心の礎として自分の中に確固たる思想があれば、それでいいのかなと。
日本の自殺者数が多いということは、少なからず多くの日本人が宗教を信奉しないということとつながっているということは常々考えています。
だから社会的・精神的弱者を食い物にするスピリチュアルがのさばったり、新興宗教やカルトにドハマりしてしまう人が出てくるのです。実際に私の聞き知る範囲でもその犠牲になった人は幾人もいます。
私がそういうものに決して近づかないようにしているのには、それなりの事情があるのです。
信頼に値する宗教をきちんと学ぶということは、今後のコロナ時代を生き抜く上でもきっと大事になってくるのではないかと私は考えています。
そのためにもきちんと節度を保ちつつ、より謙虚な気持ちで宗教と付き合っていきたいと思います。