先週末も主人とふたりで過ごしました。
いつものように振り返り記事を書こうと思ったのですが、こちらと重複する部分があるので、今回はお休みして、何回かに分けて気づいたことなどを書いてみたいと思います。
まずは夫婦の会話のお悩み編。
私はこれまでどちらかというと人とコミュニケーションを交わすのが苦手なタイプでした。
それでも親しい人とのおしゃべりは大好きという相反する性格も持っていて、交際を経て主人と結婚して9ヶ月が経ってみて、主人との会話で以前よりも困らなくなったなと感じています。
私はあまり自分のことを話すのが得意ではなくて、もっぱら聞き役に回ることが多いのですが、それでも人に自分のことを話したいと思うこともあります。
その物足りない部分をこのブログや、他のブログで消化しているところがあって、そうしてようやく自分の気持ちを整理することができているのです。
ブログを書いていることを主人は評価してくれて、「雪兎さんにとっての社会参加になっていると思うよ」と褒めてくれました。
それは私にとって大きな自信になっています。
それでも、これまでは多くの場合に聞き役に回ることに悩みを抱えていて、主治医に相談したこともありました。
そうすると、「夫婦ではよくあることだ」とのことで、半笑いでなだめられました。
奥さんにはわからない旦那さんの趣味の話に、奥さんが懲りてしまうというのはよくあることなのだとか。
そうはいっても、私自身はなんだか釈然としないなぁと感じてしまいました。
決して主人の話が迷惑だとかそういうことではなく、むしろいろんなことに興味を持っている主人の話を聞くのは好きですし、面白い話題を持ちかけてくれることが多いので、聞くことは苦ではありません。
主人が楽しそうな様子で様々な話をしてくれると、「今日は元気そうでよかった」と心から思います。
それでも、私は発達障害を抱えているので、人とのコミュニケーションに大きな支障を抱えているのではないかと真剣に悩んでいたのです。
主人といると自分のことを全く話せないというわけではないのですが、比重はどうしても相手の方が多くなってしまいますし、主人だけでなく、それがたとえ普段無口な父とであれ聞き役に回ってしまう。
友達といても、ほとんどの場合は聞き役に徹することが多いです。学生時代からそれはずっと変わっていません。
自分のことを進んで話せる友人はどうしても限られてしまいます。
また、特に母との場合がそうですが、話し終わったあとにどっと疲れてしまうこともあります。
今日もどうしようもないような愚痴を聞かされてしまった……と虚無感を感じることも得てしてあります。
もうこれは持って生まれた性格なのだろうなとあきらめかけていたとき、主人に云われたことを思い出しました。
主人はプロ作家志望で、私に自分の考えを話すことがアウトプットの大事な手段になっていると云っていたのです。
そのことをすっかり忘れてしまっていたのですが、もしかしたら話を聞くということは、相手の役に立つことなのかもしれないと思い至りました。
私がブログで自分の気持ちを表現したり整理したりするように、相手もまた私を通じて自分の気持ちや考えを整理しようとしているのかもしれません。
そのお手伝いをしているのだと思えば、こんなに不甲斐ない自分も、少しは人様の役に立てているのではないかと、ようやく思い至ったのです。
主人の話を聞いてあげることで、少しでもプロ作家に近づけるお手伝いができるのなら、わずかながらでも役に立っているということになるのではないでしょうか。
もちろん聞き役に徹して疲れることもありますが、それでも話を聞いてくれる人がいるから安心して話せるということも、往々にしてあるのだと思います。
以前、主人に「雪兎さんは癒し系だね」と褒められたこともありました。
そういう癒し系でいられるように、できるだけ日々穏やかに過ごせるといいなぁと思いますし、自分の話はなかなかうまくできないかもしれないけれど、人様の役に立てるのなら、それも私の持って生まれた務めなのだろうなと思います。
こうしてブログで自分の考えをまとめたり、それを発信することで、夫婦関係やコミュニケーションに悩んでいる人の何らかの一助になれば、それに勝る喜びはありません。
たとえ聞き役に徹してしまう自分に自信が持てなくても、きっとそれは誰かの役に立っているはずです。
そう捉えると、少しは肯定的に自分のことを見つめ直せるのではないでしょうか。