レキソタンの減薬を断念したこと
昨年12月28日からレキソタンを減薬しはじめて10日、さまざまな離脱症状に苦しめられてきました。
なんとか耐えてきたものの、易刺激性が他の人にも影響を及ぼしてしまうレベルになってしまったので、これまで通り毎日2mgの服薬を再開しました。
ここまで本当に苦しい思いをしてやり過ごしていたので、できれば1mgに減らしたかったのですが、主人に迷惑をかけるわけにもいかず、泣く泣く断念することにしました。
私ひとりだけの問題であれば、それでもなんとか耐え抜こうとしたかもしれませんが、主人に累が及ぶことはどうしても避けたいのです。
人様に迷惑をかけると、うつの罪業感が否応もなく増しますし、それだけ自分自身を咎めることにもなります。決して看過できる問題ではありません。
さらにただでさえ理由のない不安感が常につきまとっていたところに、緊急事態宣言の発出で心が折れそうになりました。
いえ、この場で緊急事態宣言の是非を問いたいのではなくて、その前後に不安感が否応もなく増してしまったということを書いておきたいのです。
おそらくあまり影響を受けない一部の人たちにとってはさしたる問題ではないのでしょうが、メンタルの持病を複数抱えている身にはなかなか堪えるものがありました。
緊急事態宣言下のセルフケアについて
このコロナ禍の状況は災害にも例えられるほど、ハードな様相を呈しています。
先日読んだ『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』にも、とにかくムリ・ムダ・ムラを軽減することが説かれていました。
Twitterから離れたことで、感情のムダはいくらかでも軽減できたと思っていますが、今度は自分自身の体調にフォーカスしすぎたり、不安感に支配されてばかりいるので、これもムダに入るなと思います。
今後はこの不安感をうまく逃がすすべを身につけていきたいです。
人と話す
個人的に有効だと思うのは、人と話すこと。
このコロナ禍でなかなか人と話す機会も取れずにいますが、できれば音声でやりとりをする機会を増やしたいところです。
月末にサークル仲間と読書会をすることが決まっているので今から待ち通しいです。
毒親の母とも最近はふたたび連絡を取るようになりました。
日中すぐに連絡のつく相手というのが彼女しかいない状況なので、しばらくは距離感をうまく取りながら、できるだけ聞き流すことを心がけながらコンタクトを取っていきたいと思っています。
毒親と付き合うのは一筋縄ではいきませんが、少なくとも今は適度な距離感を保てていると感じています。
自分の役割を果たす
私はうつの休養期間中ということもあって、夕食を主人が作ってくれるようになり、私の家事の負担はかなり軽減しました。
しかしそれ以外のことはできるだけするようにしていて、皿洗いも洗濯も掃除も、私の仕事だと思ってやっています。
自分にはすべきことがあると思えば、それに取り組むことで、最低限の安心感は得られますし、今後とも真摯に向き合っていきたいと考えています。
体調次第によってはできる日もあればできない日もありますが、それでもできるだけコンスタントにすることを心がけて、日々に一定のリズム感をつけるということは大事なのだろうと感じています。
掃除については再三書いているとおり、私の心を整えるのに一役も二役も買ってくれるので、この三連休もしっかり自分の役割に励めるようにしたいです。
アナログノートを活用する
それからアナログノートをうまく活用すること。
私は日記アプリを使っていますが、Twitterから離れたこともあって承認欲求が少なくなったのか、ひとりきりのアプリということもあり、最近はアプリを立ち上げて書き込むのも億劫だなと思うことが増えてきました。
これをきっかけにアナログノートをもっと活用していければと思います。
ライフログとしての強みはやはり紙のノートには叶いません。
アプリだと過去のログをさかのぼるのが手間だったり、かえって思考がネガティブに傾きすぎることもあり、あまり良い効果は得られないなと感じています。
もともとスマホをいじるのがあまり好きではないタイプなので、知らず知らずのうちにストレスになっているのかもしれません。
どちらかというとPCを立ち上げて、自分の思考を整理しながらまとまった記事を書く方が私には向いているなと感じます。
この辺りのことはもう少し実践を深めて、また別途記事にまとめたいです。