雪兎の小部屋

病弱専業主婦の日々

専業主婦として身銭を切ること 〜村上春樹『村上さんのところ』を読んで〜

今、村上春樹の『村上さんのところ』を再読しています。

図書館で借りて読んだのを読み返したくなって購入したのでした。 

 

そこで「身銭を切る」ことの大切さがたびたび村上春樹によって指摘されているのですが、「専業主婦にとって身銭を切るということはどういうことなんだろう?」ということを考えたくなりました。

 

結論から云えば、身銭を切るということは、時間やお金や労力を使って、自分自身の責任を持って経験を得ることに他なりません。

それは良い経験に限らず、あまり良くない経験も含むかもしれませんが、いずれにせよ自分自身の選択に責任を持つということがとても大事になるはずです。

他人任せでは決してその経験は身にならないでしょうし、お金や労力を出し渋っても思うような結果は出せません。

 

お仕事をしていらっしゃる方にとっては、仕事そのものが「身銭を切る」ことと不可分でしょうし、そうして得られた経験は大なり小なり得難いものになるかと思います。

しかし持病のため働くことが難しい私にとって、身銭を切るということは、働いて対価を得るという社会人にとって大切な要素と結びつけることができません。

そのことにずいぶん思い悩んでいて、自分自身に価値を見出せずにいました。

うつが悪化してからは自責感が強くなる一方で、毎日不調に苦しめられながら、一日一日をやっとの思いでしのいでいます。

 

それでもたとえば素人なりにも小説を書くことは、多くの本を買って読んで、それを自分なりに何度も消化して作品へと昇華させていくというプロセスがあり、それはある一面においては身銭を切るということにつながっていると思います。

しかし、今は体調が芳しくなくて創作もお休みしている状況で、その何もない状態で身銭を切ることは何を意味するのだろうかと考えたとき、唯一残されたものは生活があるのみです。

ここにきちんと時間と労力をかけることが私の務めであり、そうして得られたものをこうしてブログに反映していくことが、私にとって「身銭を切る」ことになります。

 

そこで自分の生活を見直すとき、まだまだ改善できるところがたくさんあって、先日は主人に手伝ってもらって部屋の整理をしましたが、部屋をできるだけ快適な物量のまま保つということひとつ取っても、そう簡単なことではありません。

特に心身の調子が悪いと、ものの整理が追いつかず、余計に部屋が混沌としてきます。

共用スペースは快適に保てても、自室は荒れ放題ということになりがちなので、ものの総量そのものをできるだけ抑えることが私の場合何よりも大事になりそうです。

 

また最近再開した運動も、習慣づけるまでにはまだ時間がかかりますし、私が担っている自炊以外の家事もまだまだ改善の余地があります。

生活の質量をより良いものにしていくことは、ひいては人生の根本的で基礎的な部分をしっかり作っていくことにもつながります。

それは自ずと心身の健康にもつながっていくでしょうし、逆に多少つらくてもコンスタントに家事をするという規則性が生まれれば、どんなにうつが悪化したとしても、最低限度の自尊心は守られます。

いわば『職業としての小説家』にあった「フィジカルとスピリチュアル*1 な力を併存させること」という趣旨の内容が私の場合は生活を改善させることと分ちがたく結びついていると云っていいのでしょう。

 

それは創作をする/しないということ以前に、私にとっては必要なことですし、この認識に至るまでに相応の時間を要してしまったのだなということを今改めて感じます。

創作を優先させるあまりに調子を崩し、その立て直しには創作の再開の他に道はないと固く思い込んでいた私にとって、村上春樹は静かに、しかし力強く、私に人としてのあるべき姿を説いてくれたのだと思います。

そうした点において私は村上春樹のことを心からリスペクトしています。

 

心身の不調に苛まれていたこの一年、できなかったことは山のようにありますし、至らない点もたくさんありますが、それでもしっかり身銭を切ることの大切さを今改めて実感しています。

できるだけフィジカルな部分を伴って、今後とも身銭を切っていけるように励みたいです。

*1:※ここで村上春樹の云うところのスピリチュアルは精神性という意味であって、宗教的な意味は含みませんし、私はいわゆる宗教的な意味合いでの「スピリチュアル」を忌避していますのであしからず。