雪兎の小部屋

病弱専業主婦の日々

生存ルートを見極めろ

 

はじめに

昨日の記事を書いてから、いろいろとネットで検索して、着たいお洋服を探していたのですが、私の着たいお洋服はヒールとコンタクトがどうしても必須なようです。

しかし20代ならともかく、病弱なためにこの先高いヒールを履くのはどうしても限界がありますし、20代の頃のようにコンタクトを家の中にいる間も一日中つけているのは負担になります。

さらに云えば私は専業主婦で、今はコロナ禍で、都心の美術館などに足を運ぶ頻度も落ちています。友人と会う機会も少ないです。

できるだけ心身にかかる負担や経済的なを減らしていこうと洋服を選んできたことをすっかり忘れてしまっていたなと気づきました。

そういう点ではある程度似合うものを犠牲にしてでも自分にとって着心地の良い服やコスパのいい服を選ぶことはどうしても必要なのかなと。

何よりもこの先の人生を送っていくにあたっては、どうしても優先順位をつけざるを得ません。

そこで参考にしたいのが現在50代の母やその友人たちです。

 

ロールモデル1:共働きの母とご親友

 母は共働きということもあり、経済的にもゆとりがあって、衣食住がある程度満ち足りていますし、一着三万のお洋服を買ったり、父は一着六万のジャケットを買ったりと、何かとお洋服にお金をかけている様子です。

またたびたび観劇や旅行へと出かけて、家の外での楽しみを漫喫しているようです。

しかし私がこの先同じような立場になれる見込みはまずありませんし、先日も強い向精神薬を追加で処方されたばかりです。医師からは働くことにドクターストップをかけられつづけています。

お洋服は青天井で、上を見上げればキリがありません。どこかで見切りをつけないと、この先乏しいお金を割きつづけるのは限度がありますし、ヒールやコンタクトは定期的なランニングコストが必要になります。

第一毎日おしゃれをして仕事に行くならともかく、専業主婦で家にいる時間が無駄に長い私には、魚に空を泳げと云っているようなもので、まず自分の置かれた環境にそぐわないのです。

 

ロールモデル2:専業主婦の母のかつてのご友人

そこで第二のロールモデルとして、今は疎遠になってはいますが、かつての母の友人を想起したいと思います。

彼女は専業主婦で、お金の使い道はもっぱら家のことでした。

アンティーク家具やアンティークのティーセットなど、専業主婦として家や暮らしにお金をかける人で、お洋服はフリマアプリなど、さまざまな手段でできるだけコストを抑えているとのこと。

実際にお宅にお邪魔したことがあるのですが、そのお宅の見事さたるや目を見張るものがあって、随所に美しい家具が配置され、食器は英国風のアフタヌーンティーでもさまになるようなものばかり。

オークションを活用してアンティーク食器を集めているとおっしゃっていました。

 

どちらを選ぶか

私は完全に家の外よりも家の中で過ごすことの方が多いので、断然後者のご友人に憧れます。

もちろんすべてをアンティーク家具で、あるいはアンティーク食器を揃えて、というわけにはいきませんが、それでも器やお茶周りの道具を揃えるのはやはり楽しいものです。

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今はまだそこまで値の張る器は揃えられませんが、それでも身の丈に合う範囲で食器を楽しんでいます。

自室の家具も、今は譲り受けたものや、無印良品といった品々が多いですが、ゆくゆくは少しずつ買い替えて、いずれはアンティーク家具が欲しいなと願っています。

そうして暮らしを少しずつ改善していくことの方が結局私には合っているのかもしれません。

もちろんお洋服も大事ですし、ある程度身綺麗にしておきたいですが、それでもあまりお金をかけすぎるのも考えものです。

20代の頃とは違って、外見に囚われるよりも、もっと総合的で精神的な豊かさを求めたいという気持ちがありますし、家の外での時間を充実させるよりも、暮らしそのものをより良くしていきたいという思いに改めて気づきました。

 

さいごに

30歳になって、30代というのはさまざまな節目となる年代なのかなということを感じています。

30歳になったのをきっかけに、私はTwitterをやめてブログに専念していこうと決めましたし、こうして人生の分岐ルートのどちらかを選ぶ分かれ目に今まさに立っているのだなと感じます。

でもそれは自分で自発的に選ぶというよりは、自分の置かれた環境の中でより自分に近しく、無理のない方向を選ぶということなのでしょう。

人生はさまざまな選択の連続ですが、その時々で立ち止まって考える時間を設けていきたいと思います。