雪兎の小部屋

病弱専業主婦の日々

発達障害×二次障害を持つ病弱専業主婦と家事

昨夜から鈴木大介さんの新刊『発達系女子とモラハラ男』を読んでいます。 

タイトルにモラハラとありますが、著者の鈴木さんの奥様に向けるまなざしのやさしさは、とてもモラハラとは無縁に感じます。

まだ途中ですが、発達障害や、高次脳機能障害の当事者が、困難な家事をいかにこなすかというのが本書のテーマとなっています。

 

私自身、発達障害の当事者で、さまざまな二次障害を持っており、ここのところ主人に何かと家事をしてもらってばかりいるなと気づかされました。

 ただでさえ主人は近ごろ仕事が忙しいのに、私ときたら月経困難症と低気圧がかぶったり、PTSDの再燃やうつの悪化で、まともに身動きがとれなくなってしまっていました。

でもその分主人にべったり依存してしまっているのだなとはたと気づき、ふたたび立ち上がるべく家事をしました。

f:id:snowrabbit21:20210604160925j:plain

体調が悪くて思うように完璧に家事ができませんでしたが、それでもいくらかでもできたことは、少しだけ自信になりました。

 戸澤宗充『すべてを喜びとする』にも家事によって専業主婦が精神的に自立することの大切さが説かれていました。

 今一度こちらの本も読み返して、自分の襟を正したいと思います。

 

とはいえ、なかなかコンスタントに家事をするのが難しいので、精神論ばかりではどうしようもありません。

気づけば洗濯物が溜まっていたり、リビングが散らかっていたりして、「あちゃぁ……」となってしまいます。

気づいた時にやる、ということになっていると、明文化されていない分、タイミングを見失ってしまったり、家事をやらなくてはいけないのにできない自責感に苛まれて、余計に体調を崩したりしてしまいます。

もう少し「○○なときは××する」というルール作りをした方がいいのかもしれません。

内田彩仍さんの『家時間』に、「家事が億劫なときと、頑張れるときのふたパターンの家事を用意しておく」ということが記されていました。

 私はうつでゼロ百思考になってしまっているので、その見極めがなかなか難しいのですが、「せめて最低限○○だけはする」というのが明確にあると、家事もいくらかでも達成できるのかなと。

「動けるときにできることをやっておく」というのもひとつの手ですが、それだと全く動けないときに家事ができなくなりますし、何より家事は毎日のことなので、休むということに罪悪感がつきまといます。

主人は「雪兎さんは病気なんだから、つらい時は休んでいいよ」と云ってくれるのですが、自責感は容赦なく私を責めさいなむのです。

そういう時に「せめてこれだけはやった」ということがあると、自分自身も安心だし、ひいては主人の助けにもなるのかなと思います。

 

自分の得意・不得意な家事をいったん可視化して、その範囲で「これならできそう」というものを見つけるのが手っ取り早いのかもしれません。

私は発達障害ということもあり、水仕事がとても苦手で、水を使う家事はつい後回しにしてしまいます。

食洗機に皿を入れることや、洗濯機に衣類を入れることも、両者の稼働音が苦手で遠ざけたくなります。

しかし皿洗いや洗濯は優先順位が高い家事で、どうしても「苦手なもの」と「すべきこと」がバッティングしてしまうのです。

そこで両者を片づける前段階として、別の家事を挟むことも工夫のひとつになるのかもしれません。

私にとって楽だと思える家事は、洗濯物をたたむこと、家の中のゴミを捨ててまとめること、リビングを片づけることなので、まずはそこから取りかかって、苦手な家事をこなすというロードマップを描くのが最適だと思います。

とはいえそこまでの体力・気力がないことも多くて、その時には楽だと思えることを最低限片づけるのがいいのかなと。

毎日完璧にきっちりと家事をこなせるわけではないので、ひとまず低いポジションで何とか回していける家事を目指したいと思います。