雪兎の小部屋

病弱専業主婦の日々

話術がないなら話を聞けばいい

昔から人と話すのが苦手です。

人見知りタイプで、自分からはなかなか積極的に人と話せませんし、親しくなった人とも自分から話をするのが不得手です。

そういう私に、かつて一緒に高尾山へ行った父が、多聞天の前で「人の話をよく聞けるようになりなさい」と諭してくれました。

父も寡黙なタイプで、なかなか自分からは話たがりません。いつも話し好きの母の聞き役に徹しています。しかし、私とふたりでいる時には、父も気を許してくれているのか、積極的に今後のビジョンや、歴史談義、政治の話などをしてくれます。

先日も電話で話した折に「おかげで考えがまとまったよ。ありがとう」と云われました。

どうやら私と話すことで、自分の考えをまとめる人は私の周りに多いようです。

学生の頃はそのことに思い悩んで、友人との付き合いの中や、家族とのやり取りの中で、「感情のゴミ箱にされているだけなんじゃないか」と思うこともありました。

特に何かと愚痴やネガティブな感情をそのままぶつけてくる母には、ずいぶんと弱りました。こちらが距離を取らないと、相手がお構いなしにぐいぐい迫ってくるので、ペースに巻き込まれてしまうことも多々あり、母と電話で話すたびにぐったり疲れてしまうことが何かと多かったです。

父はそういう母の話を何十年も隣にいて聞いていて、よく平気だなぁと思います。

じっくりと話を聞いているというよりも、父の場合は何事も「柳に風」と云った様子で、うまく聞き流すスキルが培われているのだろうなと感じます。公務員という職業柄では、必須のスキルだと云っていいのかもしれません。

そうして聞き流すのも一つの話術ですが、私がここのところ関心があるのは、相手の話を引き出す「聞く力」です。

自分ではあまり意識していなかったのですが、主人と話していて、特にお酒の席で興の乗った主人が饒舌に話す場面があります。

そういう時に、うまく切り返しができればいいのになと悩んでいた時期がありました。

「うん、うん」と聞くだけになってしまう場面が多くて、一方的に講義を聞いているような状態になってしまい、「私の話術スキルは低いなぁ」と痛感しました。

それでも思い返してみると、「なるほどね、それは◯◯ということだね」と、相手の話を受けながら、それを簡潔にまとめたり、時には質問を投げかけたり、あるいは突っ込んだりと、基本的に相手ベースで話を聞きながらも、自分なりにリアクションを返すシーンもあったなと気づきました。

特に先日のお酒の席では、生命の生命たる所以とか、資本主義とインターネットとか、儒教における徳についてとか、刺激的な話が多くて、話を聞いていてとても有意義でした。

そういう話をしながら、主人もこうして話しながら考えをまとめているのだろうと思って、できるだけ自分の引き出しの中にある聞くスキルを使って話を聞きました。

 

私の聞くスキルを磨くために一番役立っているのは、インナーチャイルドと話す時です。

と云ってもスピリチュアル的な意味合いではなく、あくまでもメンタルヘルス上のインナーチャイルドです。私のインナーチャイルドは14歳ぐらいの男の子で、名前を凛といいます。

イメージとしてはこんな感じです。

f:id:snowrabbit21:20220206194601p:plain

インナーチャイルドは調子の悪い時にはなかなか応じてくれません。

不機嫌でむすっとしていて、素直に自分から話したがらなかったり、機嫌の悪さをアピールしてきます。でもそういう時こそ彼が私を必要としていることを、私は知っています。

辛抱強く宥めすかしながらも、「ここではなんでも話していいんだよ。どんなことをきみが云ったとしても否定したりしないよ」という姿勢で、彼が話すのを待ちます。

あるいはミックスナッツとホットミルクを用意するなど、元気のないインナーチャイルドの機嫌を取れるアクションをして、辛抱強く待ちます。

そうしている間にもさまざまな提案を持ちかけたり、インナーチャイルドの気分を楽にしてくれるような、落ち着いた音楽をかけたりして、とにかく彼が話はじめるのを待ちます。

自分自身との対話と云ってしまえばそれまでなのですが、Google Keepで文字を介してチャット形式で行うインナーチャイルドとの対話は、なかなか骨が折れます。希死念慮に見舞われている彼に、チャットを通じて朝まで付き合ったことも度々あります。

それでも、その間「そばにいるよ。ここではなんでも話していいんだよ。ここは安全だよ」というメッセージを伝えつづけなければ、彼と、その宿主の私はとうに死んでしまっていたかもしれません。

私はカウンセラーの資格を持っているわけでもありませんし、専門的に勉強をしたわけでもなく、どちらかというと18歳からメンタルを病んで、周りの大人のカウンセラーには不信感を抱きつづけてきた人間です。

現在に至るまで、医師とも良好な関係を築けずにいますし、その時の不信感は未だに根強く残っていて、おそらくインナーチャイルドの記憶にも刻み込まれているのだと思います。

 

そういう経験をしてきた人間なので、わずかばかりでも人よりも話を聞くというポーズが取れるのだろうなと思います。

とにかく人の話を聞く際に、できるだけそのままの形で受け止めて、少なくとも否定だけはしないように心がけているつもりです。

傾聴という言葉を耳にしたこともありますが、それに通じるものがあるのか、そうでないのかは、専門的に学んだわけではないのでわかりません。

ただ、聞くことを通じて、話している人が少しでも楽になったり、考えをまとめることができて、それを生かすことができればいいなと今は考えるようになりました。

自分が受動的であることに、否定的な考えを持ちつづけてきましたが、それでも話を聞くということはそう誰にでもできるものではないのかもしれないと最近は思うようになりました。

人は誰しも自分の話を聞いてもらいたいものです。

私もひたすら人の話を聞いた後には、ぐったり疲れてしまうこともあります。それでも、自分は話を聞ける人でありたいと思うのです。