ここ数日、突然育猫ノイローゼになってしまい、私自身とても戸惑っています。
冴ゆのことがかわいくてしょうがなかったのに、ここ数日は同じ空間にいるだけでつらくなってしまい、冴ゆは何も悪くないのに、つい冴ゆがいなかった頃の夫婦ふたりの生活を懐かしんでしまうこともありました。
切羽詰まって、主人とよくよく相談した方がいいだろうと思い立ち、部屋を隔てていたのでLINEを送って、冴ゆとは居住スペースを分けている私の部屋で、じっくり話すことになりました。
さまざまなことを話すうちに、主人が「雪兎さんは社会人経験がなくて、これまでは自分のために時間を使っていたのに、冴ゆがきて、守らなければならなかったり、自分よりもケアをしなければならない存在のために時間を使わなくてはならなくなり、それも冴ゆと縁があったタイミングが突然だったために、心の準備をする余裕もなく、参ってしまったのだろう」と云われました。
実際にその通りで、私は実家時代から同棲時代、今に至る新婚時代まで、持病のためなかなか働けず、アルバイト経験ぐらいしかなかったため、ほとんどの時間を自分のために費やしてきたのだと思います。
そこに冴ゆという存在が加わり、誰もが社会人として経験する、一日の大半を仕事という他者のために時間を費やすのと同義のことを、ようやく今身をもって味わっているというのが現状で、そうして消耗してしまったのだということが、客観的にわかりました。
また主人との関係の中で、冴ゆが我が家にやってきてから夫婦の関係が変わったということもありますし、これまで交際時代から含めて十年間主人との間に培ってきた関係が、初めて変化したことへの戸惑いもありました。
そのような状況をふたりで整理ができたことは良かったなと感じます。
主人は「これまで雪兎さんをケアしながら過ごしてきたけれど、こうして冴ゆをふたりでケアしながら過ごしていけるのは、俺にとっては幸せなことだよ」と語りました。
私は普段主人がいない間はずっと冴ゆとふたりきりなので、負担感ばかり感じていましたが、主人は冴ゆのお手洗いの世話や、朝の時間の餌やりなどをしてくれています。
そうした意識が私には欠けていたのだと思うと、申し訳ない気持ちになるとともに、冴ゆも含めて家族なのだという思いを、改めて呼び起こすことができました。
私はお膝が大好きな冴ゆが、私のお膝の上で眠る様子を見るのが好きですし、その様子がとても愛おしいと感じます。今よりも冴ゆがもっと小さくて、お膝の時間が三時間に及んでいた頃は、なかなか気持ちの余裕がなかったのですが、それでも今改めて思い返してみても、かけがえのないひとときだったと感じます。
今ではお膝にいる時間は以前よりも少なくなってきましたが、そうしてだんだん独り立ちしていく冴ゆの成長ぶりを見るのは、子どもを持たないという選択をした私にとって、とても意義深いものだと思っていますし、そうした姿を間近で見られることは嬉しいことです。
26日、冴ゆはいつになく元気で、キャットタワーのネズミのおもちゃにじゃれたり、しっぽのおもちゃに飛びついたりした後、私のデスクに登っているのを見かけて、冴ゆのお気に入りのフレーズの「冴ゆちゃん、いいこちゃん」という言葉を優しく囁きかけていると、スヤァと眠ってくれました。
その後私の膝の上に来て、ふたたび眠り、これを書いている間にもお膝の上で過ごしています。
冴ゆのことはやはり可愛らしいと思いますし、今後とも家族の一員として、大事にしていければと思います。
何より、主人が私の状況を整理して、わかってくれたことで、主人に対する信頼感もふたたび増してきました。こうして夫婦の時間を持つことも大切だということもわかったので、休日には出かけるなどして、ふたりで過ごすひとときも確保していければと思います。