雪兎の小部屋

病弱専業主婦の日々

絶望でも、諦めでもなく、対話を。心が弱った時に催したお茶会と、家族に生かされていることに気づいた日。

ここのところ世の中の変化に翻弄されてしまい、なかなかポジティブな気持ちになれず、内側に籠るようにして日々を過ごしていました。

何かを発信すること、何かの意見を表明することが、とてもネガティブに感じられてしまって、言葉を用いて気持ちを表現することそのものに対して、否定的な見方をしてしまっていたのかもしれません。

そうした気持ちは、主人との関係にも影響を及ぼしてしまって、週末は私自身の気持ちのゆとりのなさから、主人を責めるような物言いをしてしまい、翌日の月曜日の今、とても落ち込んで反省しています。

主人も主人でここのところ仕事も多忙で、休日にも予定があって忙しく、不調を感じているのかなと思う場面があったのに、私自身の余裕のなさから傷つけてしまい、思いやりや気遣いが至らなかったなと思います。

そういう時に、いじけてしまったり、諦めてしまったりするのではなく、できるだけ言葉を重ねて対話をするひとときを持たなくてはいけないなと感じました。

対話と云っても大それたものではなく、お茶を淹れて甘いものを用意して、それぞれの時間を過ごしている間に見聞きしたものをシェアしたり、気になる動画を一緒に観たりと、ごく当たり前のような時間を過ごしたのですが、そうしたひとときの重みと意味を改めて噛み締めた休日になったなと感じます。

さまざまな事情があって、時にうまくいかないことがあったとしても、こうして何気ない会話をやりとりしたり、家事をして生活の基盤を整えることでしか、今の私に暮らしを守っていくすべはないのだろうと思います。

それはとても地道な作業で、目新しいことがあるわけでもありませんが、日々不調で弱っている体をなんとか動かして家事をし、いただいた仕事をこなして、そうして暮らしを地の足についた確かなものとして築くことで、なんとかこの夫婦ふたりと愛猫一匹の暮らしを大切にしていきたいです。

愛猫・冴ゆは相変わらず元気いっぱいで、日々愛くるしい姿を見せてくれます。

時に気持ちが弱ってしまったり、私の持病が思わしくないときには家の空気が重くなってしまったりもしますが、そのような中にあって健気に、そして日々逞しく生きる冴ゆの姿を見ていると、生きるエネルギーをもらえるなと実感しています。

ここのところ寒くなってきたこともあり、冴ゆは幼少期の頃のように、私の膝の上で過ごすことも増えてきました。

冴ゆという存在に生かされ、主人のかけてくれる愛情によって支えられていることに感謝し、これからも懸命に日々を過ごしていきたいと願っています。

時にままならないことがあったとしても、この暮らしを守っていくことを第一に、私なりに力を尽くし、心を砕いていきたいです。