雪兎の小部屋

病弱専業主婦の日々

2020.03.04  余生、じゃないよ

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自殺未遂をしたのは、18歳の頃だった。当時の私は、過干渉が過ぎる親と衝突し、ネットで知り合った恋人に心酔し、恋人の他にはなにもいらないと思っていたのだけれど、彼はあいにくと遠方に住んでいて、結局一度も顔を合わせることなく別れた。
高校三年生で、東京に行くことはまだ決まっていなくて、学校にも家庭にも居場所のなかった私は追い詰められて、マンションの屋上から飛び降りたかった。しかしいざ屋上に上がろうとしても鍵がかかっていて上がれず、仕方なく非常階段から下界を見下ろして、足がすくんでしまって、それきり死ぬことはできなかった。あのとき見つめていた夜空にまたたく星と、足下に広がる闇を未だに覚えている。

 

それから上京して間もなく私は発達障害と併せてメンタルの病気をこじらせていることがわかって、紆余曲折あって、正式な診断名は最後までわからなかったけれど、なんらかの精神病だろうと判断されて、投薬治療を受けることになった。以来、ずっと向精神薬を飲んでいる。


死に損なったあの時に私は一度死んだのだと思っていて、今は余生を生きているのだという想いがずっと続いていた。
大学では勉強することと、小説を書くことぐらいしか楽しいことがなかったし、今の夫と付き合ってからもしばらくは余裕がなくて、「どうせ一度死んでるしなぁ」と思いながら生きてきた。「死に損なったあとの人生というものは、ずいぶんと長いな」とも感じていた。
そんなどうしようもない私を支えてくれた夫には本当に感謝している。彼がいなければ乗り切れなかった局面は多々あって、彼がいたから今こうして生きていると云ってもいい。

 

それでも、その後フィジカルの調子が崩れたり、メンタルの調子が悪くて仕事を続けられなくなるたびに「余生だしね、しょうがないよね」という諦めにも似た気持ちで過ごしてきたので、その灰色の諦念に救われていた部分もある。
そうでなければやり過ごすことができないことも、それなりにあった。病気を恨んでもしょうがないし、共に生きていくしかないのだと思わなければ、とてもではないけれど十年選手の病者としてやっていけない。

 

でも、ひとつだけ心に決めたことがある。この先どんなことがあったとしても「とりあえず生きよう」ということだけは自分と約束した。それぐらいあのとき足元に広がっていた闇は怖かったのだ。もう二度と同じものは見たくない。

 

それからしばらくして、知人の親族が自殺で亡くなり、ネットで知り合った女性が自殺未遂をした。こうして言葉にすると軽いのかもしれない。それでも、私に加えられた衝撃は大きなものだった。
ふたりの行為は深い傷として私の胸に残っている。どちらも顔を見知っているわけではないのに、自殺というものはこれほど残された人間を傷つけるのかということを初めて実感したのだった。
ネットで知り合った女性のフォローを外して、知人ともしばらく連絡を絶ったけれど、それでも自殺や自殺未遂という現実が頭から消えるわけではない。
約一年もの間、ふたつの出来事に苦しみ続けた時間は、私にとって生きることそのものを考えさせる契機となった。

 

だから私は決して自殺をするつもりはない。これからの人生だって、余生じゃないよ、と自分に云い聞かせたい。
結婚をしたからといって、必ずしも絶対的な幸せが訪れるわけではないかもしれないし、この先の未来も明るくないかもしれないけれど、夫とはいつか猫さんを飼おうねと話している。それが今のところのふたりの夢で、叶うと良いなと願っている。