雪兎の小部屋

病弱専業主婦の日々

声をかけ合い、いたわり合ってともに生きる。

先月、育ての親であった祖母が亡くなり、それから世の中の状況も悪くなるばかりで、自分自身もずいぶんと気落ちしていました。

今も、この世界に対して、どのような言葉を投げかけていいのか、わからずにいます。

きっとさまざまなことを日々思い、つらい気持ちを抱えておられる方も多いのではないでしょうか。

私もまだ心の傷が癒えずに、ここ数週間はほとんど何も手につかない日々がつづき、これでは萎縮しすぎてしまって、どんどん弱ってしまうな、という感覚がありました。

何かを言葉にして発信することが、ついためらわれてしまうような時代を生きているなと実感します。

思いもよらぬところで人を傷つけてしまうかもしれないし、私もまた誰かから傷つけられるかもしれません。言葉というものの危うさを感じてしまう日々に、言葉を使って書いて仕事をしたり、創作をしたりしている人間として、心が痛みます。

そうした日々の中で、信じられるものはやはり身近な人と交わすごくごく狭い範囲での言葉であったり、気持ちのやりとりなのではないかと思うようになりました。

つい先日、主人が弱っている私をみかねて、推し色カラビナをサプライズでプレゼントしてくれました。

名入れができるお品で、そこには「feel easy」と書かれています。

実は私は少し前に病院に行った際に、このちゅんコレ寂雷先生を連れていったものの、落としてしまって、マンションのフロントに届いているのを受け取ったという経緯があり、主人がいつでも携えて行けるようにと、このカラビナを買ってくれたのでした。

持病で外になかなか出られない身には「feel easy」という言葉がしみ入ります。

モノだけで心のやりとりをすることはできないけれど、主人の温かな心遣いに深く感じ入ったのでした。

また、ここのところ私自身は不調つづきなのですが、主人も体の持病の調子が悪いようで、「お互いに弱いところに出ちゃうね」と声をかけ合いました。

私には主人のつらさを100%理解することはできませんし、主人も同様だと思います。

それでも、お互いに弱い部分を持っているからいたわり合えるのかもしれないなと、ここのところ感じるようになりました。

震災のニュースを耳にするたびに、アナウンサーの方が「周囲の人と声をかけ合ってください」と語っていたのが強く印象に残っています。

人を傷つけてしまうのも言葉なら、それを癒すのもまた言葉なのだと、今は思っています。